映画鑑賞

【映画脚本考察】パラサイト

こんにちは!たかやんです!
完全に僕の趣味で続けている映画脚本考察シリーズ第三弾は、ポン・ジュノ監督の

パラサイト

です。2019年度のカンヌ国際映画祭パルム・ドール、2020年度のアカデミー作品賞を受賞した超話題作ですね!
多くの人が見てそうな映画を扱ったら読者増えないかなという打算で映画をチョイスしました笑

この映画、ギャグシーンが面白すぎて爆笑しながら見た覚えがあります。
例によってネタバレ配慮一切ありませんので、ぜひUnextなどでご覧になってからこの記事を読んでくださいね。

それでは行ってみましょう!

格差はいかにして生まれるのか

分断や格差という言葉は、昨今の社会を語るうえで欠かすことのできないキーワードですよね。
とくに『パラサイト』においては経済格差というものが露骨に描かれています。

では、この経済格差というものはいかにして生じるのでしょうか。

その一つの類型を挙げてみます。

まず建前上、近代に身分はありません。身分がないので、自分に能力さえあればどんな職にもつけてしまう。能力主義の時代です。能力があれば高い社会的地位や財産を築くことができる。
これに従えば経済格差は個人の能力差ということになる。社会では、能力の高低を努力に還元する風潮があります。能力が足りず、社会で成功できないのは努力が足りない。
しかし、この努力主義が欺瞞にすぎないということを我々はよく知っています。

能力というのはすなわち、遺伝子に環境要因が組み合わさって醸成されるものです。
僕はボイストレーニングを続けているので、歌を例に出しますね。
歌を歌うために必要な筋肉というのは山ほどあって、それらが鍛えられていてかつ扱うのが上手な人が、発声がいい人と定義されます。
歌の筋肉たちは幸い後天的に鍛えることができますが、遺伝子的に鍛え上げられた筋肉をもって生まれる人もいるのですね。
歌手の森進一さんと森昌子さんのお子さんがtakaさん(one ok rock)というのは有名な話ですし、歌手の藤圭子さんのお子さんが宇多田ヒカルさんというのも有名な話です。
アスリートの子供がアスリートというのもよくある話ですよね。
このような例は枚挙に暇がないですが、能力に遺伝子が関係しているのは疑いがない。
身もふたもないことを言うと、顔がいい人の子供は顔がいいですし笑

環境要因というのも同じことが言えて、小さいころから音楽に触れてきた子供とそうでない子供で、音感に差が出るのは言うまでもない。
例えば僕はサッカーがめちゃくちゃ苦手なんですよ笑
サッカーに重要な要素のひとつは足先の神経の発達ですが、この神経はだいたい8歳までに発達しきるそうです。
つまり、8歳までに何らかの形で足に刺激を与えられるような環境にいないと、サッカーでは一生活躍できないということです。

能力以外に社会的な成功に関わるのはコネクションですね。

二世や三世の政治家が多いのは、選挙区などで親の地盤(支援者)を引き継ぐことができるからですよね。
コネクションで就職が決まるというのは山ほどあるでしょうし、コネクションに親(家)は大きくかかわる。
これらも環境要因の一例に加えていいでしょう。

遺伝子と環境の二つが人間の能力と社会的成功の大部分を規定しているのです。
それらはいずれも、当人の努力に還元しきれないものです。

だから、金持ち(=社会の中で必要とされる能力の遺伝子とそれを育てる環境、社会的コネクションを全てないしいずれか持った人)の子供は金持ちになりやすいんですね。
逆もしかりで、貧困層(=能力と環境とコネクションのいずれか、もしくはすべて持たないひと)の子供は貧困になりやすいのです。

これが俗にいう格差の再生産ですね。

『パラサイト』はまさにこれを描いている。

地上・半地下・地下の意味

この経済格差というものを、『パラサイト』では地上・半地下・地下として描きます。

地上はパク一家のような裕福な家庭
半地下はキム一家のような貧しい家庭
地下はオ一家やキム父のような借金をしたものや犯罪を犯した者

がそれぞれ住まうところです。
裕福な家庭は半地下や地下に一切興味がないし、なんなら無意識に蔑視している(においというワード)。
半地下の家庭は地下をそもそも知らず、知ったとしても地下の人々と一緒にされたくないと思っている。
経済の上層から下層に向けて無関心と蔑視の滝が形成されているのですね。

そしてこれらの三層はほとんど固定されている。
金持ちが貧乏になることはほとんどないし、貧乏が成功することもほとんどない。
何度も事業を起こしてはことごとく失敗してきたキム父がそれを表しています。
パク社長を殺してしまったキム父が地下に隠れ住み、『自分は昔からここに住んでいた気がする』と思い始めたことはとても重要です。
半地下にいたときは何度も貧困を脱そうと挑戦していたキム父が、地下に入るとその気を失ってしまった。
これは恐らく、一度犯罪(前科)がついてしまった者が社会の中で再出発する困難を表現しているのだと思います。
この社会は社会階層が固定されているため、一度転げ落ちると這い上がることはほとんど不可能に近いということです。

においと石とpretend

『パラサイト』では、においというワードが重要な機能を果たします。
体臭にコンプレックスのある僕は何とも言えない気持ちで見ていました。特にパク社長の奥様が車内で鼻をすするシーンは堪えましたね……。

話を戻すと、このにおいというのは経済階層の差を表しているのです。
この経済階層の差というのは、お金があるかどうかではありません。先ほど述べた環境要因の差のことです。

例えば言葉遣いや所作、品格や文化的素養は環境によって培われるものですよね。
それらは質の高い教育や親の姿勢から子供へと受け継がれていきます。
社会学者のピエール・ブルデューはこれらを『文化資本』と呼びました。

例えば映画『タイタニック』で、由緒正しい家のマダムたちが成金の新興マダムのふるまいに苦言を呈するシーンが何度もありますが、これこそ何世代にもわたって洗練されてきた文化資本の差なのですね。
社会階層を一つのまとまりにしているものは何も資本だけではなく、ふるまいに代表される文化資本の共有なのです。

キム長男がパク家の娘に『pretend』(ふりをする)という言葉を教えているのは素晴らしい皮肉だと思います。
キム一家は計画の成功でうまくパク一家に取り入った。しかし、上流ないし一般階級の家庭の育ちのふりをしようとしても(pretend)、文化資本の違いをパク家の人々は感じ取ってしまった。それがにおいなのですね。

もう一つ皮肉があって、それはキム長男が洪水のときに石を抱えて逃げるシーンです。
たかが石に鑑賞の価値を見出すのは暇なお金持ちだけですよ。余裕があるからできる趣味です。
キム一家のような貧しい家に鑑賞用の石なんて全く意味がないし、ましてや生きるか死ぬかの瀬戸際で石なんてなんの価値もないのです。
それでも石を抱えて逃げるのは、お金持ちへのあらがい難い憧れがあるから。ふるまいだけでもお金持ちでいたいのですね。
その石で地下の男を殺害しようとし、石で返り討ちにあうのは、欲が身を滅ぼしたというこれまた皮肉ですね。

計画

『パラサイト』最大のキーワードは計画でしょう。
計画とはキム父の口癖ですが、彼は貧乏を脱しようと何度も計画を練った。
では、なぜそこまでして貧乏から脱却したいのか。

筆者が『パラサイト』で最も気にいっているシーンは、大雨の中、パク家からキム一家が逃げ帰るシーンです。
高台に建つ家から半地下へ坂を下っていくのがまさに両者の社会階層であり、戻った家で洪水に合うのも悲惨でした。
翌日、パク家の奥様は大雨なんて何とも思っていない風なんですよね。
災害のように、社会に生きるすべての人が被害を被るはずの出来事もお金持ちは被害を回避してしまうのですね。
直近ではコロナが経済打撃を与えましたが、大きな被害を被ったのは零細産業や貧困層で、多くの富裕層には身を崩すほどの被害がなかったように思います。
お金で防げる不幸は大きいのです。

そこでキム父は計画を立てて貧困の脱却を図るいつも通り生きていても空からお金は降ってきませんからね。

しかし、計画はすべて失敗に終わってしまう。
というか、キム父に限らずこの映画の中で計画が成功した人っていないんですよ

キム長男なら恋愛にはならないだろうとパク家の家庭教師を任せたミニョク(⇒恋愛関係に発展し失敗)
オ一家のパラサイト計画(⇒キム一家にばれて破綻)
キム家のパラサイト計画(⇒オ一家にばれて破綻)
パク家のキャンプ(⇒大雨で失敗)

昨今の社会はとても変化が速くシステムが複雑で、先を読み切ることはとても困難です。
基本的に計画を立てても思い通りにはいきません。

最後のキム長男の『計画を立てました』というシーン。
多分見た人の多くが『絶対失敗するやろw』『アホかw』と思ったのではないでしょうか。
これはおそらくキム父から長男へ受け継がれる文化資本(ふるまい)という側面と、
計画がうまくいかないとわかっていながらも、計画を立てて行動しなければ一生変化を望めない貧困層のおかれたどうしようもない状況を表しているのだと思います。

 

 

あとがき

お疲れさまでした!

なんだか今回は解説がしょぼいというか、小粒になってしまった感が否めないですね汗
次回は必ず大粒のものをお届けしようと思うので、僕の自信作『call me by your name』か『jojo rabbit』で行こうかなと思います!

読んだ報告くださるとうれしい!
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!