映画鑑賞

【映画脚本考察】JOJO RABBIT

こんにちは!たかやんです!
最近暑い日に台風と大変な日が続きますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今回考察する映画は、タイカ・ワイティティ監督の作品

『JOJO RABBIT』

です。2019年度のアカデミー脚色賞を受賞した作品ですね。
JOJO RABBITは個人的にかなりダイナミックな考察をした作品で、それだけに『なるほど!』と言っていただける自信があります。

現在はDisney+で見放題配信、Amazonprimeで有料レンタルとなっています。
お盆で外に出られないし、数百円余ってるから見てやるよ!って方はぜひご覧になって、記事を読んでいただけるととてもうれしく思います。

作品に関して、まずはメジャーなポイントを押さえていき、それをもとにダイナミックな考察という構成にするつもりです。前半は少々退屈かもしれませんがよければ最後までお付き合いください。
では、いきましょう!

お化けになった少年

お化けというワードは、ジョジョの母ロージィがエルサとの会話で使った表現です。
日本と西洋ではお化け(ghost)という言葉への概念が少し違っていて、
・日本のお化け⇒〇〇さんが恨みで化けて出た!というように、生前の人とお化けの中身に同一性を見出す
・西洋のお化け⇒ゾンビのように、姿は同じでも中身は違うという含みがある
という違いがあるのです。
ロージィがジョジョをお化けといったのは、かつてと全く中身が変わってしまったという含みがあると思われます。

ジョジョがどのように変わってしまったのかというと、簡単に言えばナチ信者になってしまたわけです。
『僕はアーリア人だぞ!』と言って威嚇したり、祖父が金髪ではないという理由だけで怒り狂ったり、血筋に対する極めて強いこだわりがある。
これは1930年代~終戦のドイツ人の在り方なのですね。
フランクフルト学派という、ドイツのユダヤ人を中心とした社会学の一派は戦時中のドイツ人の心理分析を行いました。

第一次世界大戦で負け、異次元のインフレに見舞われたドイツ人は完全に自信を無くしていた。特に経済の打撃を受けやすいのは社会の中・下層です。没落しかかって不安を抱えていた彼らに
『あなたたちはアーリア人だ、だから生きているだけで素晴らしい!』
というヒトラーが受け入れられたわけです。不安を別の都合のいいものにすがって埋めようとしたのですね。
精神的に不安定な要素を抱えた人がよすがを求めて宗教に引っ掛かるのと同じように、不安を抱えていたドイツ人がヒトラーに引っ掛かってしまったわけです。

ジョジョはこの戦時中のドイツ人の在り方を象徴しているのだと思います。
もちろん、ジョジョがナチ信者に走ってしまった理由も考察することができます。
まず、ユーゲントキャンプに参加したジョジョの様子を見ればわかるのですが


・走る場面では一人だけ肩で息をしている
・陣取りの戦闘訓練では一人だけ臆病なふるまいをしている

そしてイマジナリーフレンドのアドルフが言うには
・友達が少ない
・靴ひもも満足に結べない

ジョジョはあまり出来のいい子供ではないのです。家族がありのままのジョジョを愛してくれればいいのですが、
お父さんは戦争で不在、お母さんはレジスタンス活動に忙しい、お姉さんは自殺
と、ジョジョの家族関係は穴だらけで、この不安がジョジョをナチ信者へ走らせたと考えられます。

しかしジョジョは最後にアドルフを突き飛ばして、ナチから解放された。
スケッチブックに描かれたケージとウサギは、ジョジョがナチにすがることで隠していた臆病な自分を表していると考えられます。

この『JOJO RABBIT』という映画は、出来が悪く臆病な自分にコンプレックスを抱えたジョジョが、母の愛、エルサの愛、キャプテンKの愛を知って、自分自身を受け入れていく心の成長がベースにあると言えます。

蝶・ダンスがあらわすもの

『JOJO RABBIT』には、象徴的な意味を持つモチーフが存在します。
まず、誰もが気になるのが蝶ですよね。
蝶は愛情の象徴です。
エルサを思うジョジョのお腹の中で蝶がうごめいているシーンは特に分かりやすいと思います。
ロージィとジョジョが自転車をこいでいる絵には、二人を囲むように蝶が飛んでいます。
これは母が亡き後に母を思ってジョジョが描いた絵だと思われます。ロージィを失って、自分が愛されていたことに気づいたのですね。
変わり種ですが、蝶結びもこの蝶というモチーフに関係します。
蝶結びを誰かにしてあげるというのは、愛情を相手に捧げる行為。ロージィに蝶結びをしてもらっていたジョジョがエルサに蝶結びをしてあげるシーンは感動でした。

そして何度か作中で登場したダンス。
ダンスは作中でロージィが言ったように(川の近くでジョジョと自転車に乗るシーン)、生きる喜びなのです。
だったら何?という感じだと思うのですが、これはのちの考察にとても重要です。

生き続けよ、絶望が最後ではない

エンドロールで流れたリルケの詩です。
この詩こそが、まさに『JOJO RABBIT』という映画のテーマにつながります。
つまり、絶望に負けず生き続けることの尊さがストーリーの中で表現されているのです。

ジョジョはもともとナチの信者で、ナチの兵隊になりたかった。
彼が参加したユーゲントキャンプは、いわばナチにとっての通過儀礼でした。

昔話が通過儀礼というのはよく言われることですよね。
例えば桃太郎は、異界(鬼ヶ島)に行きミッション(鬼を倒し財宝を取り戻す)を達成して初めて、村の大人として認められ結婚を許されるのです。

このユーゲントキャンプは、親元から隔離された異界(森)でミッションを達成することで一人前のナチの兵士と認められるための通過儀礼なのです。
ジョジョは通過儀礼の中でウサギを殺すというミッションを与えられましたが失敗し、そればかりか手榴弾を誤爆して足をやられてしまいます。

これではナチの兵隊にはなれません。
足が治ったとしても、顔に傷が残ってしまう。ナチは優生思想から奇形を嫌いました。ナチ信者のジョジョにとってこれは絶望ともいえる耐えがたい試練だったのです。
これに加えて最愛の母の死。映画内でジョジョは何度も絶望を経験します

一方で、最後に連合国がドイツに攻め込んでくるシーン。
ジョジョは子供兵士が敵に向かっていく中で一人、逆方向に逃げます。
逃げることが許されたのは、ジョジョが通過儀礼に失敗して一人前の兵士と認められていなかったからです(ほかの子供は手榴弾をもって突撃しろのような指示をされていた)。
そして一番最後のシーンで、エルサとダンスを踊るのです。
ジョジョにとっては絶望に思えた失敗が、翻って彼が生き残れた理由になり、最後には生きる喜びを踊った。

絶望に負けず生き抜けば必ずいいことがあるというのが、この作品のテーマなのですね。

エルサの絶望とナイフの意味

『JOJO RABBIT』の2人目の主人公ともいえるエルサも、絶望を経験した一人です。
エルサがジョジョに自分の恋人(ネイサン)について話すとき、恋人と川辺で踊ったわというセリフがあります。つまり、ネイサンのいたときのエルサは生きる喜びに満ちていたのですね。
しかしネイサンは結核で病死、ナチスがはびこるドイツではユダヤ人は迫害を受けた。


エルサがロージィについて『いい人よ、人間扱いしてくれる』と話すシーンがあります。
このシーンからも、彼女がどんな扱いを受けていたのか想像に難くないでしょう。

ジョジョとロージィが階下のリビングで踊っているシーンの後、エルサがろうそくにナイフをかざして見つめているシーンがあります。
深読みかもしれませんが、これはエルサが絶望のあまり自殺を企図しているのではないかと思います。

このナイフというのが個人的にはとても映画中でいい働きをしているように感じます。
まず、エルサがいる隠し部屋は基本的に内側からしか扉を開くことができません。無理やりこじ開けるにはナイフのような鋭いものが要る。
エルサが最初にジョジョからナイフを取り上げたことで、ジョジョは隠し部屋をこじ開けることができなくなった。これはエルサがジョジョに『自分の心に立ち入ってくるな』と線を引いたとみることができます。


その後ジョジョとエルサは交流を重ね、ゲシュタポの家宅捜索の際、エルサは身の危険を冒してジョジョにナイフを返しに来ます。
これはエルサのジョジョを大切に思う心が現れた行動であると同時に、エルサがジョジョに心を開いたことがナイフの返却から読み取れます。ナイフはエルサの心の鍵なのですね。
また、ナイフがエルサの手元にあるというのは先ほど述べたようにいつでも自殺ができるという状態なんですよ。ナイフの返却というのは、エルサがジョジョとの交流の中で生き続ける意思が戻ってきたことをも表現しています。

こうして絶望から自殺を考えていたエルサも、最後には生きる喜びを踊るのですね。

インゲはなぜ死んだのか

では、ここまでの考察を武器にインゲの死の真相を推測していきましょう。
最も大きな手掛かりは、ジョジョがエルサに手紙を送るシーンにあります。
ジョジョはユダヤ人であるエルサを攻撃したいあまりに、エルサの恋人を装ってエルサをこっ酷くふる手紙を書きます(何回見ても鬼畜の所業ですよねw)。
この手紙をきいて傷ついたエルサが隠し部屋にこもった時、ジョジョは
『君が自殺したら困るから』
と言いながら励まそうとするのです。

普通、恋人にふられたことで自殺するって発想に子供が至りますか?
このセリフから、身近な人間がその理由で自殺したのでは?と考えてもいいと思うのですよ。
つまり、インゲは恋人にふられて自殺した
これを裏付けるものはもう一つあって、初めてインゲの部屋が登場した時、一瞬ですがくすんだ色の蝶の標本がアップで映るんですよ。
標本ということはその蝶はもちろん生きてはいない。
蝶とは愛情の象徴でした。すなわち、インゲは愛情を失って死んだというメタファーになっているのではないかと思うのです。

自殺と考えれば辻褄が合うことがあります。
例えばインゲの死を誰も知らないという不可解な設定。事故死や病死ならだれか知っているはずなんですよ。自殺のように突発的な出来事なら、誰も知らないとしても納得ができます。

考察はここで終わりません。
作中で明かされたインゲの誕生日は5月7日でした。この日はまさにドイツの終戦記念日であり、ジョジョとエルサが生きる喜びを踊った日なんですよ。
インゲの誕生日に、そっくりな顔をしたエルサが生きる喜びを踊るというのは、自殺したインゲのある種の魂の救済です。
一方でインゲが絶望に負けず生き続けていれば、インゲの誕生日は戦争が終わり、お父さんが帰ってくるかもしれない素晴らしい日になったというアイロニーでもあります。

この映画のテーマは、『生き続けよ、絶望が最後ではない』でした。
必ずいいことがあるから絶望に負けず生き続けなさいというテーマと、インゲの自殺は矛盾していないと思うんですよ。

インゲと同い年でかつそっくりな容姿を持ったエルサ。恋人を失くし、同じ部屋で同じように自殺を考えていた二人が、一方は死に一方は生きる喜びを踊るという対比。

この対比から推測できる映画の裏テーマは、『自殺という行為の否定』ではないかと思います。

あとがき

お疲れさまでした!

『JOJO RABBIT』の脚本は、ジョジョの心の成長、エルサの心の再生、生きることの尊さ、子供の目から見た戦争、優生思想の下で虐げられた人々などなど、いろいろなテーマを約100分に収め切っているきわめて優れた作品だと思います。

僕もとても感動しました。

『JOJO RABBIT』は僕の考察の中でも最も脚本家の意図を深く読めたのではないかと感じる自信作です。
ちょっと長くなりましたが、特にエルサとナイフに関する考察、インゲの死の理由に関する考察にはきっと納得してくださった方がいるのではないかと期待しています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!