映画鑑賞

【映画脚本考察】JUNO

こんにちは!たかやんです!
多忙につきだいぶ間が空きましたが、映画考察続けていこうと思います!

今回扱うのはディアブロ・コーディー監督の作品

『JUNO』

になります。2007年公開の映画で、第80回アカデミー賞で脚本賞を受賞しました。
もともと7館のみの公開で始まったマイナー映画でしたが、口コミで広がり一億ドルの興行収入をあげた実力派の映画です。

現在はDisney+で見放題配信、Amazonprimeではレンタルで視聴できますのでよかったらどうぞ!

この記事では

・映画『JUNO』に込められたメッセージ(作品のテーマ)
・椅子で始まり椅子で終わったの意味

に関する筆者の考察を説明していきます。
ぜひ最後までどうぞ!

設定のベースはギリシア神話

まず、ジュノのスペルは『JUNO』。
ジュノとお父さんが里親を探してマーク・ヴァネッサ夫妻宅を訪れるシーンでは、マークがジュノの名前を聞いて『ギリシア神話の?』と尋ねるシーンがありました。
ローマ神話では『JUNO』とつづってユーノーと読みますが、これはギリシア神話のヘラの別名です。
ローマ神話はもともとギリシア神話をルーツにしているので、ユーノーとヘラのように名前が違うだけの同じ神様がかなりいます。

ヘラというのはゼウスの奥さんで、結婚や出産をつかさどる女神です。
この『JUNO』という映画にぴったりですね。
ギリシア神話ではヘラとゼウスの夫婦仲はいまいちで、浮気性なゼウスにヘラが嫉妬するというのがお決まりの展開です。
このエピソードもきっちりジュノとブリーカーの関係として映画に落とし込まれています。

中絶センターに相談するシーンでジュノは、ブリーカーを回想しながら『性的に活発になるスイッチは一度入るといつ止まるのかわからない』といった内容の発言をしています。
つまり、ブリーカーはジュノとセックスした日から性的なスイッチが入ってしまって、ジュノ以外の女性とも関係を持ってしまっているのです。一方でジュノは妊娠が発覚した時に父親がブリーカーだと確信しているあたり、浮気をしていない。
また、ブリーカーがプロムナードに同級生の女性を誘うシーンがありますが、このときのジュノは嫉妬丸出しでブリーカーに迫っていましたよね。
細かい描写から読み取れる二人の関係性に、ゼウスとヘラがベースにあることは納得していただけると思います。

ゼウスとヘラの間に起こった事件はほかにもあります。
ゼウスは前妻テミスとの間に子供を三人もうけていましたが、ヘラとの間には子供がいませんでした。
これに焦ったヘラは、単性生殖して子供を出産します。
しかし、生まれてきた子供(ヘパイストス)が奇形児だったため、海に捨ててしまうのです。
このヘパイストスは別の親に育てられ天界にかえるのですが、このストーリーってまんま『JUNO』だと思いませんか?

単性生殖して子供を産んだというのはブリーカーの助けを借りずに出産したジュノの姿に、生まれてきた子供を捨てて別の人が育てたというのも本編のストーリーに一致します。

この章は考察というより元ネタはこれだよという紹介でしたね笑

椅子で始まり、椅子で終わった

これ、見ていて?と思った方が多いと思います。
最初の椅子はまだわかりやすくて、ブリーカーと初めてセックスした椅子のことですよね。
ここから妊娠をめぐる騒動が始まったということです。

この映画はジュノが庭にある椅子を眺めるところから始まります。
この椅子、庭にあるってその時点でなんだか違和感がありませんか?
その後、その椅子をブリーカー宅の庭先に置きに行った。
恐らくですが、この椅子はもう捨てられる運命にあったのだと思います。

一方、『椅子で終わった』というナレーションの際に映っていた椅子は捨てられる運命には当然ないですよね。
これは、ヴァネッサが赤ちゃんを育てるために用意した椅子です。

この椅子というのはずばり赤ちゃんの象徴なのですね。
ジュノは赤ちゃんを中絶こそしませんでしたが、自分の手で愛して育てるという選択はしませんでした(捨てられる運命)。
一方、ヴァネッサは親になる気満々で、愛情をもって赤ちゃんを受け入れようとしている。
親から捨てられる運命にあった赤ちゃんが自分を愛してくれる親の元にたどり着くまでの話が『JUNO』なのです。

この映画の主人公はジュノですが、この椅子からうかがえる裏主人公は赤ちゃんなのですね。

映画『JUNO』のテーマ

このブログは当然こんな程度の考察で話を終わらせません。

この赤ちゃんって、誰かと似た境遇にあると思いませんでしたか?

そう、ジュノ本人ですね。

ジュノには、映画冒頭で語られるコンプレックスがありました。
『私はかわいくない娘、サボテンは親の離婚より傷つく』。
ジュノを生んだ両親は離婚しており、生みの母親は新しい家族の下で子供を産んでいます。そして時折サボテンと写真をよこしてくる。
ジュノは、自分が生みの母親から愛されなかった、捨てられたというコンプレックスを持っているのです。
ジュノは自分が抱えているコンプレックスと同じことを子供にしてしまったわけですね。

この映画は、ジュノが周りとのかかわりを通して自分が助けられていること、愛されていることを自覚していく構成になっています。
特にお父さんがジュノに言った『どんな時も自分を愛してくれる人を見つけることが幸せなこと』というセリフがこのストーリーを象徴します。ジュノはブリーカーに告白し、二人は愛し合って幸せになります。

ジュノと同じように生みの親に愛されなかった赤ちゃんは、育ての母親であるヴァネッサの下で愛されて幸せになるのだと思います(ショッピングモールで子供と遊ぶヴァネッサのシーンは、ヴァネッサがいい母親にあるであろうことを暗示します)。
この赤ちゃんの下敷きにあるギリシア神話のヘパイストスは、育ての親に深く感謝しているエピソードがありますし。

つまりこの映画は、親に捨てられた親子が自分を愛してくれる人の下にたどり着く話だということです。
ここから考察できる映画のテーマは、

実の親に愛されなくても、自分を愛してくれる人がいれば人間は幸せになれる

ということです。
筆者も知らなかったのですが、アメリカでは養子文化ってかなり一般的なんですね。3人に1人が養子縁組を考えたことがあるという調査もあるそうでびっくりしました。
この作品はそのような養子縁組という文化を背景にメッセージを込めて作られたものだと思います。

あとがき

今回は映画『JUNO』の解説でした。
96分というとても短い映画ですが、10代らしい明るい感触で妊娠や親との関係という重いテーマを扱っていて、舌触りも後味も軽やかな作品でした。

次回は女性主人公というつながりで『promising young woman』あたりをやろうかなと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!